メンズエステの歴史 第一章【創生期】〜後編〜

[2019年2月7日]

つづきでございます……

日本人によるメンズエステの名店
東新宿「クローバー」
日本橋「ちゃんとね」
などの活躍は、陳エステティック最盛期からすでに始まっており、ブロガー発祥のサイト「満蘭」も活気づきはじめていました。

当時話題でありました日本人メンズエステの名店、東新宿「クローバー」は私も体験させていただきました。
ドリンクで頂いた高麗人参酒を飲み、赤外線の小箱に入るなど、想定の範囲外でございました。
数々の先輩方がハマる鼠蹊部の施術に悶絶したものでございます。

看護師さんのような施術服ながら、濃厚な鼠蹊部の施術は、現在のディープリンパの原型でございます。
この技術は今もなお、世の中の男性に明日への活力を与えているのでございましょう。

日本人の名店が台頭してきましても、まだまだアジアンエステの力は絶大でございました。
東新宿「クローバー」と同じ濃厚な鼠蹊部施術で知られる六本木「メディカルエン」が週刊誌で取り上げられ、さらに人気に拍車がかかりました。

ディープリンパの草分け的存在であるこの2店舗を筆頭に、各地にアジアンエステの名店が増えていきます。

六本木「メディカルエン」も施術服はシンプルなものでございました。
この時代の施術服は今とは違い、視覚の欲求を満たすものではなかったようです。

うつ伏せ状態からX字を切る開始スタイルも、この頃には定番となっていました。
後に多くの人気セラピスト様を輩出する六本木「メディカルエン」の他、池袋の「麗華美皇」へ通う方が増え、上野では「栄花」が人気を博しておりました。

池袋「麗華美皇」で頂くカレーライスは、絶品であったと皆様語っております。
確かにアジアンエステに行きますと「焼きそば食べる? 」とか「カレー食べる? 」と聞かれたことがありました。
お店様とお客様の距離が近く、ビジネスというより、アットホームな雰囲気が強かった時代でございました。

それらの情報交換の場として活用されていました掲示板「満蘭 -みつらん-」
ケン様が立ち上げ、メンズエステ創生期を支えたこの掲示板と、数々のミツラニスト様は、富士の裾野のような大きな土台を築きあげてくれました。

私たちは、巨像の上に乗せて頂いている蟻のような存在なのかもしれません。

東新宿「クローバー」や六本木「メディカルエン」に、こんなセラピストさんがいた、こんな施術を受けた、など、満蘭に書きこまれる情報を元にお店に行き、俺はこんな施術だった、僕はこんなセラピストだったという意見が飛び交いました。

満蘭に書きこんでいました代表的なミツラニストは、
グーデリアン
ダンセン
道化師
かえるくん
TRY100

ハンジョ
などなど。
本当にメンズエステが好きで、良いことも悪いことも気軽に情報交換できる場でございました。

まだエステ店の数も少なく、満蘭で話題に上がれば、みんながそのお店に行くのです。
ミツラニスト同士の対面は日常茶飯事でございました。
掲示板での交流に、リアルでの交流。
満蘭での話題は尽きなかったようでございます。

掲示板ですので、たまに荒れることもありました。
意見の食い違いはどこにでもある話ですし、ネットの匿名性から、交流のない人は好き勝手に書きこむのです。

その頃、満蘭のアクセス数に目をつけた「青龍」というハンドルネームの業者が、お店の宣伝のために書きこみを始めたのでございました。

アクセスが多いサイトで広告すれば、それだけ効果も期待できます。
しかもエステ好きが集まる満蘭にエステ店の宣伝を出せば、効率の良い効果が期待できるのです。
その頃の満蘭には、全国のエステ好きが投稿をしていましたので、そう考えるのは自然のことかもしれません。

増え続ける業者の投稿により、エステ好き同士のほのぼのとした満蘭が、どんどん侵されていくのでございました。
空き地で小学生が野球をしてるところに、中学生が「俺たちにもやらせろよ」と言ってきたくらい嫌な雰囲気です。

そこでケンさんは、業者用掲示板「夕刊gif」を立ち上げるのでございました。

しかしこの「夕刊gif」は思惑通りにいかず、業者同士の誹謗中傷が絶えませんでした。
お店の人になりすまして嘘のサービスを書いたり、増え続けていましたチャイエス店の女の子の引き抜きの怨恨から、誹謗中傷に掲示板が使われるようになり、クレームも多発していたのでございます。

ほのぼの掲示板を再構築しようとミツラニストのグーデリアンが「アジアエステ情報掲示板」を立ち上げますが、それほど盛り上がらず、満蘭での宣伝、誹謗中傷、クレームの悪循環を止めることはできませんでした。

そこで満蘭のケンさんは、業者から広告バナーを有料で掲載し、資金を集めることをはじめます。
満蘭に掲載できる、宣伝できるということで、業者は業者で各所で動きはじめていました。

そういえば過去に、知り合いのママさんから「2万円出せば満蘭に記事を書いてくれるのよ」ということを聞いたことがあります。

しかし有料化した満蘭でございますが、また問題が多発してくるのでございます。

逆アクセスランキングで、リンクされていないサイトが上位にくるなど、理解のできない仕組みが多発していたのでございます。

ファミコンのディスクシステムでいっぱいいっぱいの私には難しい仕組みでございますが、当時から詳しい方はいらっしゃったのでございます。

様々な欲望が混じり合い、乱れ合い、満蘭は明らかな衰退をはじめるのでございました。

 

衰退し始めてきました満蘭の再生のため、雑誌「巨乳ちゃんマッサーGメン」の多村と、ミツラニストのグーデリアンとダンセンは、最強のエステ本を企画するのでございます。
そして、エステ座談会を全国各地で開催することを発表したのでございました。

エステ座談会とは、満蘭に投稿しているミツラニストに直接会い、エステについて語り合うこと、そして各地のエステ情報の収集を目的としていました。
それを、ムック本という単発での出版を計画していたのでございます。

まずは東京と千葉で開催し、大阪へ飛び、九州へ。
さらに札幌へ渡り、最後は名古屋へ。
有名ミツラニストが来るということで、地元のミツラニストは歓迎したようでございました。
中にはアンチもいたようで、議論になることもしばしばあったようでございます。ちなみに座談会は各地の居酒屋で行われていました。

グーデリアンは地元のミツラニストと会う前に、あらかじめ地元の人気店で施術を受けていたようです。
確かに地元の方と話をするのであれば、その方が話やすいのでございましょう。

今もたくさんのブロガーがいらっしゃいますが、このような交流はなかなか難しいことでございます。
顔バレ必至ですが、とても楽しそうな企画でございます。
しかしその後、このエステ本の情報は、パッタリと途絶えてしまったのでございます。

一体どうしたのでしょう。
このエステ本の情報を知っている方がいらっしゃれば、是非とも教えていただきたいと思います。

 

満蘭最盛期の中、エステの総合サイトはいくつか存在していました。

2002年ごろ、すでにリリースされていましたA-sideとその後に作られたエステナビが、ナイトネットやメンズエステ研究所などを押切り、安定した広告収入と閲覧数を伸ばしていたのでございます。

特にアジアンエステ店はA-sideとエステナビに掲載して、はじめてオープンという認識でございました。
当時は新規掲載店として載りますと、とても目立つので沢山のお客様が足を運んだようです。
効果がなくなれば一旦やめて、再掲載を申込み、また新規掲載店として載せる方法も横行したのでございます。

そんな中、満蘭と同時にアメブロも更新していたグーデリアンは、徐々にブログに力を入れていくのでございます。
日本人メンズエステの初記事は、どのブロガーよりも早く、満蘭全盛期でもありました2005年でした。
この「東新宿クローバー」が、現存する最古の日本人メンエス体験記事でございましょう。

その後、ミツラニストでありました、かえるくん、ダンセンなども続々とアメブロに参戦。
インターネット検索に強いアメブロは、また効果的でございました。
先陣を切りましたグーデリアンが体験記事をアップしますと、多くのお客様が足を運んだのでございます。

グーデリアンの満蘭記事ではなく、アメブロを読んでブロガーデビューしたという
「こまめ」
「りゅう」
「うるカモメ」
郊外の店舗を中心に執筆する「イケテルマッサージ」などなど。
俗に言う「第一世代エステブロガー」が活躍を始めるのでございました。

 

1999年創業、五反田の名店「華陽」は当時では珍しい個室での施術でございました。
個室に入りますと、心のどこかで胸騒ぎがするのは仕方がないことでございましょう。
そして、このアイデアは現在も男性の心を掴むシチュエーションとなるのです。

アジアンエステながらマッサージ技術向上のための研修や気配りの教育、ビールを飲みながら施術を受けることができたりと、おもてなしの心をふんだんに盛り込んだこのお店は、癒しに特化した健全店として、たちまち人気店となるのでございます。

2000年代、五反田「華陽」に1人の日本人が入店してきたのでございました。
人気店のアジアンエステ店の中に、1人だけの日本人セラピスト。
冒頭でご紹介させていただきましたM女史でございます。
当時はとても目立ち、満蘭では良くも悪くも騒がれたものでございます。

ビールを飲みながら施術も受けられることから、中にはセラピスト様に強要するお客様もいらっしゃいました。
個室、女性と2人きり、アルコールとくれば、男子としてはよくある行動かもしれません。
セラピスト様にお断りされた男性が、悔しくて満蘭に書き込んだのではないかとも推測されます。

その後、様々な経験と沢山の知識を得たこの日本人セラピスト様は、2004年に独立することとなりました。
がしかし、独立したお店でも標的とされてしまうのです。
男性は、自身の欲望が満たされないと攻撃的になるようで、誹謗中傷の書き込みは大変なものでございました。

この時の満蘭の書き込みを読んで、逆に興味を持つ男性が多くいたのです。
特に人気でありました、泡を使用し、ホイルで包みながら体を洗うコースは注目を浴びたのです。
120分14Kという料金は今考えると、破格の料金でございました。

現在も続いています泡の施術は、どこから派生したのでございましょう。
洗体の発祥は沖縄と昔聞いたことがありましたが、詳しい資料はこちらも残っていませんでした。
これは、ボディスパの歴史も紐解といていかないといけないかもしれませぬ。

話は戻り、
カリスマセラピストM女史率いるプレサンティールは、華陽で学んだ技術とおもてなしの心、そして当時では珍しかった若きセラピスト様による日本人店ということで、掲示板での逆風を利用し、拡大を続けていったのでございます。

サムディや、新規を受付ない新橋M&Rなどを手がけたり、活躍を続けていましたプレサンティール。
当時、他店はどうであったのか?
思い浮かぶのは現在、飯田橋にありますマツリカでございます。
J嬢やK嬢など、粒ぞろいのセラピスト様たちが活躍をしておりました。

この頃のマツリカ人気は、現在のタイ古式マッサージを主体としたスタイルとは違う濃密な施術でございました。
プレサンに行ってマツリカに行ったり、クローバーに行ってメディカルエンに行ったり、また違うオキニ店に行ったりと、巡回店という言葉が、エスターの中で使われ始めたのでございます。

その頃でございました。
プレサンティールと双璧をなしていた若きカリスマセラピスト様がいらっしゃっいました。
美しいそのセラピスト様は、抜群のスタイルと高い技術、そして素敵な笑顔を持ち合わせていたのでございます。

あのローズハーツ、K女史でございます。

M女史同様、現在も経営者として活躍されていますK女史。
2011年に独立するまで、予約の取れないセラピストとして、ひたすら注目を浴びました。
メディアへの露出もあり、テレビや雑誌で見かけるその姿にエステ好きの男性は、なんとしても一度は受けてみたいと思うのでございます。

 

時代は2008年。
東京のタクシーが前年の12月に初乗り料金を、660円から710円に値上げをした時代でございます。
タクシー利用客が10パーセント近く減少してしまったらしいのですが、プレサンティールは120分14Kから17,850円に値上げを致しました。

施術料金の引き上げはその後、その時代ごとに行われている気がします。
あのお店が上げたのだからウチも、となるのは自然のことですが、それに伴った技術や内容を求められることもしばしば。
この年辺りからメンズエステも増え出し、競争は次第に激しくなっていくのでございます。

アジアンエステ「メディカルエン」の人気セラピストM嬢が、池袋こまち整体院を立ち上げたのもこの頃でございます。
メディカルエンを知らない世代ですが、こまち整体院の技術力とディープなリンパマッサージに、圧倒されたものでございます。

アロマカルムの第一期もまた、この時代の人気店でございました。
プレサンティールやローズハーツでは体験できませんでした当時の予約困難な日本人セラピスト様で唯一、施術を体験できたセラピスト様でございます。
体験できたといっても、アロマカルムではなく独立後ではございましたが。

 

2009年頃、エステブロガーが急激に増えた時代は、セラピスト様もアメブロを始める時代でもありました。
アメブロに書き込まれます人気セラピスト様の予定をしっかり確認して、すぐにお電話をしたものでございます。
この頃から私も、メンズエステの世界に惹かれていったのでございます。

日本橋With you
秋葉原アロマライフ
恵比寿バニラリゾート
三軒茶屋ガールズヴィラ
神田アロマリゾート
RERE
アロマギルド
短命に終わりました田町おもかげ、など。
日本人メンズエステはいくつか存在していましたが、私は相変わらずアジアンエステ巡りをしていました。

アジアンエステ「メディカルエン」の系統を引き継ぐこまち整体院へ通ってみたり、同じく系統の赤坂イマージュへ行ってみたり。
別のセラピスト様を求めて大塚へ行ってみたり、という感じでございました。

 

2009年頃から増加していきましたエスターの中心は、新宿バカツル酒場に集まる方々でございます。
「第二世代エステブロガー」が活躍を始めた時代、一部のセラピスト様とブロガーの交流も見受けられました。
グーデリアン様から続くアメブロが、時代を作ろうとしていたのでございます。

当時は、まだまだチャイエスが人気でございましたが、著名なエスターたちの日本人メンズエステ初記事は以下の通りです。

グーデリアン様
東新宿クローバー
2005.8.16

Gメン多村様
新橋オリエントヴィーナス
2009.5.24

バカツル様
新宿ハワイ・デ・リゾート
2009.5.26

ゴル様
池袋アロマニア
2009.2.28

チャイエス巡りの中で、たまに日本人メンズエステに行くのでございます。
マスク様やケット様、Lip様の文献が残ってないのが本当に残念で仕方ありません。
凡三郎様の日本人メンズエステの記事は、2009.3.31のアメンバー限定記事が初記事と推測されます。

かからっく様(とふとふ様)に関しましては、FC2ブログは残ってますが、調べるのに少々お時間を頂く形になります。
その他、ハワイ・デ・リゾートが、日本人メンズエステ初記事というエステブロガーは多く見受けられました。

以前も書かせて頂きましたハワイ・デ・リゾート。
諸先輩方との話の中で、田町鳳凰の家や新宿プライスのスキンコースというのが、ハワイ・デ・リゾートの施術の原形なのでは?
と推測されていたことに驚きました。

どこのお店も、どこかのお店の技術と出逢い、学び、そして進化させているのでございましょう。

脈々と受け継がれる癒しの心は、メンズエステ創生期から続いているのでございます。

たくさん学ばせて頂きましたここまでが、私の知らない時代「メンズエステ創生期」のお話になります。

取材にご協力いただきました諸先輩方にお礼を申し上げますと同時に、これからも宜しくお願い申し上げます。

この歴史の続きが2018年11月9日に書き込みましたツイートへ繋がり、メンズエステ業界は「第三世代エステブロガー」を経て、総SNS時代に突入するのでございます。

そして、メンズエステは【開化期】を迎えるのでございます。

メンズエステの歴史 第二章【開化期】~前編~ はこちらでございます。

 

 


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